風景と速度

@takusan_neyoの日記

10月

かけがえないひとになりたいと思っていたのだと思う。自分のふるまいや言動に関して、今ここで自分が唯一無二であろうとする振る舞いをして、痛い奴認定されたり寒がられたり気持ち悪がられたり、そういうことを過ごして10代と20代を過ごしてきた。それが単一的に悪いことだったのかは、今となってはわからなくて、それはなぜならかけがえなくありたいと思って振る舞っていた私の行動は、すでにもうそんなのどうでもいいと思っている私の中に内面化されてしまっているからだ。

夏が終わって、職場に研修を終えた後輩が入ってきた。彼はふっくらとしたハスキーボイスの男の子で、何をするにも私に相談をしてくれる。

これ、どう進めたらいいっすか。

これ、誰にどういう風にメール打てばいいっすか。

電話かけるときってなんて言えばいいんすか。

正直、ここ数日彼の質問によってメンタルが削られていて、でも、わかりやすく嫌な態度を表に出すのも嫌なので、丁寧に教えている……つもりだ。でも、電話とかは慣れないと難しいだろうなあ。横で「お電話ありがとうございます、〇〇でございます」って電話口で言ってて、ちょっと微笑ましくなった(うちの部署ではそんな言い回しはまずしないので)

せめて、ゼロの状態から質問するんでなくてある程度揉んでから聞いてくれるとやりやすいのだけど、ゼロの状態から質問しないと不安なんだろな……でもその気持ちはよくわかる。私も質問魔なので。質問しながら自分に何がわかっていないかをあぶり出そうとしちゃう。この間別の部門のひとに質問しにいきまくってたら「なんか0か1かみたいな感じでしか来ないけどなんなんですか」的なツッコミをされて落ち込んだ。

これは自分が仕事をする上でも気をつけないとなと思っているんだけど、ある程度選択肢を2つか3つくらいまで絞り込んでから質問しなきゃな〜と思う。でもまあ、次は絶対にこうするでしょうみたいな事象も念のため確認しておきたい気持ちはわかる。確認と質問と相談を自分の中でちゃんと使い分けんとなあ。

お酒を飲みながら、自分がおこなってきた、そして自分になされてきた数々の不義理を思い出していた。人間関係は本質的に裏切りによってしか前に進まないのではないかとさえ思う。だいなしになってしまったことや、もう二度と(実際は二度とではないんだろうけれど、精神的には二度と)会えなくなってしまったひとたちのことを思い出しながら、悲しく、でもあたたかいような気持ちになる。今じぶんの周りにいるひとたちが、そこに永住することはなくて、絶えず流動して、失ったり失われたりしながら、時間は止まることをやめずにいる。その有様事態が生きるということだと思うし、各世界、各人にこのような有機的な時間の流れがあるのだと思うとちょっと泣ける。

新しい靴や帽子がほしい。

ひととお酒を飲んでいる時、そのひとの所作やものいいひとつひとつに、そのひと自身があらわれる瞬間があって、それがいっとう好きだとおもう。わたしは、わたしとは異なるものに惹かれるという性質をもってるからこそお酒が好きになっているのかもしれない。お酒がすきなひとには二種類いますよね、ひとと楽しくお酒を飲むのがすきなひとと、おいしいお酒をひとりでゆっくり飲むのがすきなひとと。あなたは前者だと思いますけど。って、東京の喫茶店で言われたことがあるんだけれど、前者の飲み方はもちろん後者の飲み方だってわたしは好きだ。お店の種類や雰囲気、飲むお酒、誰と飲むか、いろいろな要素が複雑に絡み合って、いまこの場所でお酒を飲む、という状態が成立している。そのいろんな状況を一生懸命愛おしむために、自分自身は柔軟にありたいとおもっているのだけど、ひとりで酒場で飲んでる時にウザ絡み説教してくるおじさんにだけは心を閉ざしてしまうので、まだまだ修行が足りないのかもしれない。