風景と速度

@takusan_neyoの日記

2月

ちょっとした事故で怪我をして、家に引きこもっている。家にいる時間が長いとだんだんと心は沈んできて、ウーバーイーツで何を頼むかとか、どんな本を通販で買うかとかを(決して、読み始める保証も読み終わる保証もないまま)考えて過ごしている。

 

家にずっといると人とも会わない。コンビニまで普段なら往復5分のところを倍以上の時間かけていったり、病院まで4,50分くらいかけて松葉杖をついていったりする以外に外出する理由も気力もない。

そうなると寂しくなって友人たちに連絡を取る……のかと思えばそんなこともなく、最低限家族に頼り、あとは人と会わない暮らしを案外楽しんでいる。大河ドラマの録画を見たり、買ったまま読んでなかった本を読んだり……。

通勤の時間がまったく発生しないというのはいいことなんだけれども、ラジオを聴く「理由」がなくなる。歩いていて動画なんて見れないからラジオを聴く、というのがわたしの習慣だったけれども、通院で松葉杖をつく以外は歩くことなどほとんどないから、ラジオを聴く習慣が薄れつつある。そのことは残念だ。

 

詩的抒情の少ない生活の中で何を思っているのか。自分でも考えてみたけれど、結局よくわからない。生活に精一杯になると、普段おもしろいと思うもののおもしろさが目減りする感じがある。それに伴って、普段は興味がなかった大食い動画なんかに食い入るように見ている。自分の人間くささに呆れつつも、でもそれこそが真に人気らしいのでは?ということを思ったりした?