風景と速度

@takusan_neyoの日記

日照雨

ああそうか日照雨のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで/永田紅『北部キャンパスの日々』

※ルビ:日照雨(そばえ)

 

北部キャンパスへ通う日々を失ってから2年が過ぎた。

京都は平坦な道が多いけれど、百万遍の交差点から東へと今出川通はゆるやかに坂道をなしていて、その坂の途中に北部キャンパスはある。『夜は短し歩けよ乙女』の映画にも出てくる進々堂を過ぎてもう少し行ったところを左に曲がればいい。

歩きながらどういうことを考えていたのか思い出そうとしても思い出せない。でも、あの暑い夏の京都市を歩いていく身体の感覚はいまでも残っていて、頭上にあるユリノキのやわらかい葉っぱの感じとか、それが舗道に影を落としながら揺れている感じとかがいま目の前にあるみたいに思い出せる。

短い詩のよいところは、すぐに思い出して暗誦できることだ。

たくさんの詩のテクストを心に忍ばせていつでも引き出せるようにすると、日々の中でであった景色や状況と、引き出しの中の詩が共鳴して、現実に詩情を与えてくれる。現実が詩に影響を及ぼすのと同様に、詩もまた現実に影響を及ぼすのだということを身をもって実感できる。

わたしは、日照り雨について「狐の嫁入り」などの呼び名以外に「日照雨(そばえ)」という呼び名があることを知っていて、それを日照り雨が降るたびに作品とともに思い出す。それは精神的に豊かな営為だと信じている。見ている世界を、詩の世界が拡張し、別の輝きを見せてくれるから、わたしは短歌に救われて、魅了されたのだと思う。北部キャンパスで過ごしたやるせなさの日々は翻って、同時に美しい日々でもある。その記憶の中でも日照雨が降っていた日がきっとあったのだと思う。