風景と速度

@takusan_neyoの日記

11月

発しようと思っていた言葉になる以前のものと、実際に発した言葉の間にある乖離に、自分自身で傷つきながら、それでもそれをなんとか近づけようとする営為の大切さを、わたしは知っているから、傷つきながら言葉を書いていくのだということを思う。

幻のような秋が終わり、もう冬だ。今年には紅葉がなかったように錯覚しているけれど、実際にはこれからが紅葉の季節だと思うと、紅葉は秋というよりももはや冬のものなんじゃないかと思えてくる。

紅葉の季節になると、当時の恋人と行ったあちこちを思い出す。南禅寺京都府立植物園で紅葉を見ているそのひとの背中をわたしは後ろからみていたのだとおもう。うつくしかった日々はいまも記憶のなかのどこかで、気づかないうちに再生されていて、そのバックグラウンド再生されている記憶が、急にわたしを情緒づかせるのだとおもう。

最近は仕事のためにいろいろ勉強している。昨日は、回路表を解読して電気回路図を書きだしたり、油圧部品のスペックを調べたりしていた。前の二段と比べてなんと情緒のない一文だろう、かなしくなる。仕事をしながらおもうのは、全体像を把握することと、個別の小さな部分を細かく検討していくことの両方が大切だから難しいということだ。こういうことを書くと、いきいきと仕事にやる気があるひとみたいな感じに見えてしまうのもなんだか悲しい。わたしはふつうにはたらいてふつうにお金がほしいだけだ。仕事はつらくないにこしたことはない。つらくならないように仕事がある程度できるようになりたいなとおもっている。

お笑いの動画を見たり、アニメを見たり、音楽を聴いたりして日々を過ごしている。昨日はブルーハーツを久しぶりに聴き直した。やはりいいバンドだなとおもう。ハイロウズも含めて、CDをしっかり集めたい。真島さんの歌声が好きだ。しわがれながらも、優しさを含んだ声。最後のアルバム『PAN』に収録されている「休日」はとくに好きな曲だ。「野原で野球してるこども こどもとぼくが入れ替わる」というフレーズとかにグッとくる。風景描写からグッと自分に引き付けて、自分がそのこどもと同じ体験をする(かつてしていた)という没入に切り替わる。シンプルなフレーズだけど、なかなか簡単にはこうは言えない奥深さがある。

お酒を控えて、ノンアルコールビールや白湯を飲む生活をしている。もちろん週末は飲むのだけれど。感染者は増えていっているけれど、東京のイベントに行くつもりだったから、悩んでいる。おそらくは行くのだろうけれど。