風景と速度

@takusan_neyoの日記

樹形図

選択肢がどんどん分かれていく。見えているものだけでこれだけあるのに、見えてないものも含めたらいったいどれだけの選択肢があるのだろうか?

たとえば通勤時間を共に過ごす音楽をApple Musicから選ぶために、週に何度かてきとうな新譜や、直近に再生したものによって自動サジェストされる旧譜をライブラリに追加するのだけれど、これを続けていくと聴き込むアルバムを追加するアルバムが上回り、いくら通勤時間があっても足りなくなる。結果的に一聴して気に入ったものを何度か再生することになり、様々な音楽に触れる機会を逃しているように思う。

ごくごく当たり前のことだけれど、何かを選ぶということは何かを選ばないことだ。わたしはバンドマンになることを選ばなかったし、文学部に進学することを選ばなかった。あの人と付き合うことも東京に暮らすことも選ばなかった。選ばなかったひとつひとつのことが、お守りのようにわたしの心にぶらさがっていて、だからこそ選んだことを大切にしていかなきゃいけないと思う。この「だからこそ」が大事で、選んだことは選んだから大切なのではなく、選ばなかったものが大切であるからこそ選んだことも大切となる。

上記は認識はしていたけれど選ばなかった選択肢についての話だけれど、自分の中では認識すらしていなかった選択肢も、今まで生きてきたなかでたくさんあっただろうし、これからもたくさんあるのだろう。それは仕方のないことだけれど、できる限り多くの選択肢を演算し見つけられるようにありたいと思う。樹形図を必死に書いて確率の計算をしていたあの頃のように。

今日は気持ちが詰まっていたので、定時後の15分間の休憩のうちにチョコレートを買ってきて甘いカフェオレで流し込んだ。わたしの元気がない分、誰かの元気が余っているのかもしれないなと思った。