風景と速度

@takusan_neyoの日記

残暑/MacBook

MacBook Airを買ったのでうれしくて文章を書いてみざるをえない!まず感じたことだけれど、意外とキーボードの互換性がほぼwindowsに近い。iPadで執筆するために買ったロジクールBluetoothキーボードは配列がwindowsとかなり異なっていて(たとえば@とか()とかがwindowsと違う位置にあった)書きづらさを感じたのだけれど、MacBook Airにおいては今のところそのようなストレスは感じていない。前のMacBookからそうなのか、最近のMacBookがそうなのかはよくしらないけれど。互換性があるのはよいことだ。

あと、噂には聞いていたけれどトラックパッドの使い勝手がめちゃくちゃよい。マウスが要らないなんてほんとうですか?と思っていたけどこれは本当にマウスを買う必要がなさそう。スマホさわるみたいにタップするだけでクリックできるし、ドラッグもすいーっと可能。操作性がいいことは大事だ。なぜかというと、思考と動作がそのまま直結するから。文章も、できるだけアウトプットの速度が速いやり方でやる方が、生の考えを生のままで発信できる。

夏が終わりつつあるけれど、結局なにが夏だったのかはよくわからないままだった。仕事はやる気がでないし、精神的にはどん底にいたし、ただひたすら酒を飲み、家でゲームをして、気絶するように寝るような日々を過ごしていただけだった。文化的に生きることを放棄することは容易く、ゲームしたりユーチューバーの動画を見たりしながらゲラゲラと笑って、12時前にあー明日も仕事かいやだなあとぶつくさ言いながら寝て翌朝仕事に向かうだけの生活は、しかし最低限心地のよいもので、気持ちを麻痺させて、蝕んでいく。執筆意欲も意義も見えなくなった生活の中でお酒にすがり、意味不明なツイートを繰り返し、時には会社の先輩の前で泥酔して号泣したりしながら、それでも生活が回っていくことの尊さを根底に抱えながらここ最近は過ごしていたと思う。

最低な/最低限な生活を回していきながらその中に尊さを感じることはわたしにとってはとても大切に思える営為だけれど、実際は、それを言語化しないと、その尊さは、1秒ともたずに消え去っていってしまうのだ。

だから、書くしかないのだ。

現在、ツナ缶に醤油とマヨネーズをぶち込んだものを食べながらセブンイレブンのCLEAR COOLER(レモン味、100円)をいただいている。なにが生活なのかはよくわからないけど、生きていくことはこれぐらい適当でいいし、その中に光がある、のだと信じないことにはこの形勢は逆転できない。

すこし饒舌になってしまった。残暑もいずれ終わって秋がくる。秋はいちばんわたしが好きな季節なんだけれど、そのころには気持ちを立て直せていたらいいなと思う。