春と忘却
3月は本当に忙しかった。
言葉を使って自分の気持ちと向き合う時間を取ることはとても大事だ。言葉が自分の感情を導いてくれる。
作品を作っていても、批評を書いていてもあてはまるのは、言語化することによって自分がどんなことを思ったり感じたりしていたのかがわかってくるということだ。それは言語化することなしには気づけなかったもの、見通していたであろうもののことが多い。
花見というのは、花を見ることよりも花見的な行為を行うことに主眼が置かれているとおもう。それなら別に桜じゃなくてもいいのではないか。いい感じの気温と色彩と飲食物を屋外で提供する期間限定のお店があれば流行るのかもしれない。なんならみんなもっと昼間から河川敷とか公園でシート敷いてお酒とか飲めば良いのではないかなとおもう。
春は思考が浮つき、だけど心はゆっくりと水中に沈んでいくような感じがして、いてもたってもいられなくなる。苛立ちながらも心踊るような神経のすり減り方に頭がぐちゃぐちゃになりそうだけど、もっとあったかくなったらそんなことは置いてけぼりで「あつい!」しか考えられなくなるだろう。なるようになる。
この時間もこのつらさもこのうれしさも忘れたくないなと思う。忘れたくないから仕事ではメモを取り、忘れたくないから今ここでは文章を書いている。書かなかったこの1ヶ月のことはほとんどわすれてしまった。