風景と速度

@takusan_neyoの日記

日記

3月27日(金)

週明けから、会社の自席を引っ越すことになった。異動とかではなくて、COVID-19への感染者が出た場合、そのフロアが出勤停止になるのだけれど、そのとき部署が機能停止するのを防ぐために各チームの半分の人員を別のフロアにうつすことになったのだ。移動する先のフロアからもぼくがいまいるフロアにひとがうつってくるから、自席周辺をがっつり片付けなくてはいけなくて少し面倒だった。感染者を出さないようにするのが理想的だけど、感染者が出ると想定して動くというのは合理的だとおもう。めんどうではあるがやむをえない。もし自分が感染したら…(もうしてるかもしれないけど)という想定も常にしておかなくてはならないよな、とは思うんだけど、なかなかできていないのが実情。まじめにならなくちゃな。

馴染みの店が潰れるのはいやだから、1時間ほど残業して、ひとりでたずねてみた。週末だからかわからないけれど思ったより賑わっていて安心した。もっと事が深刻になってきたら、お店自体が営業をやめてしまうのだろうな。2軒目で訪れた立ち飲み屋は、いつも人でぎゅうぎゅうなのにぼくが入ったときにはお客さんがいなかった。ぜーんぜんあかんわ、とタバコをふかしながら大将がぼやいていた。だいじょうぶかなあ。安くて良い店だからつぶれてほしくないな。

3軒目は居心地が良くて、ハイボールを二杯だけ飲んで2時までだらだらしていた。バーなんだけどバーっぽくなくて、シメに釜玉うどんを出してくれる。美味しかった。家から20分ほど歩いたところにある店で、この店から歩いて帰るときはいつもなんだか心細くなって誰かに電話したくなる。この間東京へ引っ越してしまった後輩がまだ起きていたのですこし電話で話した。引越し先は近所に飲めそうなお店がない…とぼやいていたので、今度東京に行くときに連れてってくれるお店開拓しといてよ〜、と頼んでおいた。今おもうとぼやきに対する応答になってないな。

 

3月28日(土)

午前中に散髪。美容院に折り畳み傘をおいてきてしまった。取りに行くのめんどうくさくて行ってない。壊れかけてたし買い換えようかなあ。午後、散歩していたら育休中の職場の先輩(というかほぼ飲み友達)にたまたま出会い、スーパーでお酒を買って公園で桜を見ながら乾杯した。先輩はノンアルコールビールだったけど。いつ落ち着くかわからんけど、落ち着いたらまた遊ぼう、と言われてはい、と答えた。「落ち着く」の対象が育児なのかCOVID-19なのかわからなかったけれど、そのことはぼくがその先輩と遊びたいとおもうことに関して特に重要ではなかった。いつでも遊びに誘ってほしい。先輩と別れて、家に帰る。花見の予定が流れたので、家でテレビで花見の動画を流しながらお酒を飲んだ。この日常と非日常の状態を楽しみながらやれることをやるしかないのだろう。

 

4月5日(日)

二日酔いで昼まで寝ていた。外で飲んでも家で飲んでも二日酔いになるまで飲んでしまうんじゃあいっしょだよなあ。重い身体をひきずって、近所のコンビニに今日1日分のご飯を買いに行く。ファミチキが100円なのはうれしい。いつまで経っても、明日から自宅待機、みたいな連絡が来ないから、月曜からまた出勤しなくちゃならないんだろう。憂鬱だ。けれど、社内で座席を引越ししたおかげで、もともといた場所より清潔で明るい環境になったから、それはうれしい。上司の目からも離れてわりと快適に仕事ができている。特に外に出る予定もないから、Netflixで適当なアニメを流しながらぼんやりする。Netflixは日本語の字幕が非常に優秀で、日本語のアニメやドラマを視聴するときも常に日本語字幕をオンにしている。こないだ初回が放送された「波よ聞いてくれ」なんかは、おそらく字幕なしで見たら何言ってるか全然わからないんじゃないかと思う。言葉選びの妙や、言葉数で攻める場合、それが伝わらないと面白さが伝わらない。「水曜どうでしょう」も字幕ありで見たら面白かった。あと、たまに日本語で見ながら英語字幕をつけるという遊びをしたりするとより面白かったりする。

22時をすぎて、小山田壮平ツイキャス配信をはじめた。ぼくの青年期を支えてくれた彼の歌声は、聞いていると条件反射的に涙が出そうになる。力強いのに優しくて、躍動的なのに今にも消えそうな、そういう矛盾をはらんでいて、それが心をゆさぶってくる。

火の消えていきかたに正しいも正しくないもないのと同様に、ここに在る、ということの方法、つまりはあなたやわたしの在り方に正しさは存在しない。しかし、わたしはわたしにとって正しくありたいと思うことをやめられないから、わたしにとっての正しさとはなにか?を問いながら、生活の中でひとつひとつの意思決定をしていくしかないのだと思う。

 

4月8日(水)

緊急事態宣言が出ても、会社は何もしてくれない。国も会社も何もしてくれないなら、自分で休むしかないだろうと思って、明日と明後日を有給休暇で休むことを上司に告げて、承認を得た。休んでる間に、組織としての対応が好転するといいんだけれど。

先週いっしょに同じ部屋に社内引っ越しをした先輩は、「まあ、緊急事態宣言出てもなにもかわらないだろうから目の前の仕事するだけじゃないかな。大変なのは東京だけの話だろうし」と言っていて、率直に、この人は想像力がないんだなと思った。

食堂で食べているときに一緒になった同期は、「今仕事が忙しすぎてそれどころじゃない。四方八方からあれどうなってるこれどうなってるって詰められまくってる」と言っていた。こういう考え方にならないように、仕事はだいじだけど自分の身をだいじにしたいなとおもった。

小山田壮平ツイキャスの録音を聴きながら、お酒を飲む。非常事態のいま、ささやかな幸せを自分の力でつくっていく。明日は休みをとった。できることをやっていく。

自分にはなんにもなくても、疲れ果てていても、友達と遊んだり歌を歌ったり、お酒を飲んだりすることが大事な時間なんだ。大槻ケンヂも、「何もなくなりはしないのさ 形が変わっていくだけさ」と歌っている。ぼくにとってのだいじな時間も、形を変えながら、でも、失われることがないはずなんだと、信じている。

2月と3月

新幹線のホームの売店でひどくならんで買ったボトルコーヒーをすこし飲んだらねむってしまって、結局飲み干すことのできないまま、東京駅でそれを捨てた。

怖いと思っていた上司と、出張先でふたりで飲みに行くことになった。おれは一昨年離婚したけど、離婚は決してネガティブなものじゃなくて前に進むために必要やったんやわ、というようなことを言って、キンミヤのソーダ割りを飲んだそのひとは、すこししてから、今は好きに生活してるから、家で毎日焼き芋焼いてんねん、と言って笑った。わたしも笑った。

油断していたから、毎日をすごい速さで忘れていってしまう。きっと、気をつけていようと忘れていってしまうのは同じなんだけど、日々の記憶におもりをつけて、出来事とかそのときの色や匂いを、わたしの中にとどめようとしない限り、とどまることなくそれらは行ってしまう。夜が明けて朝が来るのは怖い。自分の身体や心が連続体ではない、という感覚が、いちばん現実感をもって覆いかぶさってくるのが夜だ。忘れるようにねむるしかないのか。

だいぶあたたかくなってきて、もう春なのかもしれない。わたしは相変わらず、飲み歩いてばかりでお金がない。こんなご時世だし、不要不急の飲み会をしましょう、といって先輩を誘って飲みに行く途中で、べつの友達にも飲みに誘われた。結局そのあと、いろんなひとが集まって、ぐちゃぐちゃになりながら飲んだ。滝口悠生の「寝相」という小説がこんな感じだったな、と思いながらわたしは深夜2時のカラオケボックスで入れられるがまま星野源を歌っていた。

飲み会からべつの飲み会へはしごする間に、隙を見てお気に入りのラーメン屋にいった。その結果、お腹がいっぱいになりしまってしまった。合流した後はジンジャーエールと、グレンリベットのロックをゆっくり飲んで話したのだけど、そうすると、幸せな感じはずっとつづいてるのに酩酊したときのつらさが全くなくて、そういう境地があるのか!と感動した。先にシメを食べることで酔いを継続させてしまう作戦は、金欠のわたしにとって有効かもしれない。ひどい酔い方もしなくなるし。帰りにマスターに「なんか今日いつもとぜんぜん違いますね」と言われて、ふだんのわたしはいったいどんなにひどいのだろう…と怖くなりながら帰った。

4月がやってくる。いろいろなことがよくわからないまま。確かなことはなにもないし、小さな不安がすこしずつ積まれていくようないまのこの感じがずっとつづくのだと思うと、つらくおもえてくる。わたしはわたしの生活をまっとうしていく他はないのだけれど。本屋と酒場が開いていればある程度は今まで通りになるんだろうか。それもよくわからない。

センター試験のおもいで

「今年はきっとマダガスカルが出題されますよ」とM先生は言った。

マダガスカル島は島の東側と西側で気候区分が大きく異なるし、島中央の高山地帯もまた別の気候になる。熱帯・乾燥帯・温帯が一つの島につめられた、不思議な気候の島だ。わたしは、マダガスカルの首都が「アンタナナリボ」というなんだか口ずさみたくなるような名前だったから、その先生がマダガスカルが出る、と言ったことがなんとなく頭の中に残っていたのだった。

結局、その年のセンター試験ではマダガスカルの気候に関する問題が出題され、わたしは今までの模試でも過去問演習でもとったことのない最高得点を叩き出した。わたしにとって地理の授業を受け、地理を勉強することは、行ったことも見たこともない土地のこと、その土地に住む人々や文化のことを想像し、心を寄せることだった。バオバブの樹を見たことがなくても、バオバブの樹のことを知識として知っている。心の中には草原が広がっている。

わたしはセンター試験だか2次試験だかの直前に、お世話になっていた先生たちに、ノートやテキストにメッセージを書いてもらった。化学の先生からは「radicalな人生を歩め、全てを手に入れろ!」、英語の先生からは「No Attack, No Chance! Are you ready?」というような、試験前の気持ちを奮い立たせるようなメッセージをもらったと思う。(いま思えば、給料に全く関係ないのにそのようなサインをくれるなんて、優しかったな。)M先生はそれとはうって変わって、B5のテキストの1ページぶん、長文の言葉を書いてくれた。キャッチーではないし、当たり前のことしか書かれていなかったけど、それがすごく印象に残っている。

センター試験のためだけに勉強した地理。わたしの場合、地理の知識は入学後も卒業後も使う機会に恵まれなかったため、多くのことが抜け落ちてしまっているけれど、ひょうきんだけどどこか芯のあるM先生のことはぼんやりと覚えている。

記憶はいつもぼんやりとしていて、それを辿ることはろうそくに灯した火を遠くから眺めるような静謐さを持った行為だ。わたしにとって文章を書く第一の意味かもしれない。

ちなみにわたしのセンター試験の地理の点数は95点だったのだけど、あんな点数二度ととれないんじゃないかとおもう。きっとあの頃はどうかしていた。ちなみに国語は130点くらいだったので地理のアドバンテージは国語で相殺となった。

11月

ブログをさぼっていたけど、ひさしぶりになんにも予定のない土曜日だから、ブログを書こうとおもって、このようにブログを書き始めている。

11月は、ずっと原稿に追われていた。毎年11月4週目に東京で文学フリマというものがあって(東京だとほかには5月にもある。)、それに合わせて評論や小説や詩歌を書いたりしていた。〆切がないとものが書けないというのは情けない話なんだけど、ものを書くという行為はやりたくてやってる反面、実はやらされないとやらないみたいなところもある。わたしは基本的にめちゃくちゃ怠惰なので、自発的に作品を作ったり論じたりということがなかなかできないし、絶対完成させなければ、という強い意志がないと終わらせられない。こまる。書きたいことを書くというのは非常にむずかしくて、そもそも書きたいことなんてそんなにあるのか? という感じがする。

そんな調子だから、人生ではじめて小説を書かされて非常に困った。書きたいことがなんにもない。わたしが取った方法は、とにかく友だちの言葉を思い出すことだった。自分の記憶を掘り下げながら、あのときあいつらとあそこでどんな話をしてたっけな、ちょっと再現してみるか……というような作業を行って文章にしていく。で、これがけっこう楽しいというか、精神衛生上よい感じがしておもしろかった。自分の好きなひとたちとの会話や、その時の雰囲気・空間を文章に立ち上げようとすることで、それを書いている自分の中の心の空間にもそのひとたちの仕草やにおいのようなものが流れ込んでくる感じがあって、うれしかった。

書き上がった小説は友だちたちにはまだ見せてないけれど、ネタにさせてもらったからにはあとで読んでもらったほうがいいのかな、とぼんやりおもっている。

サイゼリヤで原稿の取りまとめをしていると、斜め前に座ったカップルの机の上に、辛味チキンが3皿置いてあった。辛味チキン好きすぎるやん。

やる気にずいぶんムラがある。昨日福島駅のファミリーマートのイートインで作業していたときは、脇目もふらずにずーっと集中できたのだけれど、今日1日家にいても創造的な営為を進めることは1ミリもできなかった。ゲーム実況をみて、本を読んで、あんぱんを食べたくらいだ。あんぱんは好きだ。つぶあんとマーガリンの暴力的な親和性。しょっぱさと甘さの蜜月の関係にはどのような歴史と系譜があるのかすこし気になる。

安くて美味い酒場を探している。みんなどうやって見つけるんだ? 今日休みだったのだからせっかくだし開拓しにいけばよかったと後悔した。いや、今からでも間に合うのか。生ビール380円の店で、レモンサワーも380円だとすこし損したような気がする。レモンサワーは330円とか350円くらいであってほしいなあ。欲を言えば300円。最近はこのように料金面を意識しながら酒場を楽しむようにしている。高くて美味いものを食べるのもたしかにこの世の真理に近づく営為なのだが、ちょっと今のわたしは金がなさすぎる。それもこれもばかすかとクラフトビールやらウイスキーやらを飲んでいたせいなので完全に自業自得なのだけれど。普段使いの口座は、金に余裕がない状態をキープして「今もう一杯頼むのはやばい」という感覚を持って我慢することで節約していきたい。なぜ節約するのか? というと、来年の夏までに100万円くらい貯めなければいけなくなったからである。もちろん平素は正社員として働いているので賞与とか積み立ての貯金とかを有効に使えばなんとかならんことはないのだけど、なるべく自力でなんとかしたいなあ……でもまあ、半年で100万は現実的ではない、月10万以上貯金に回すのは無理だ、死んでしまう……。

 

こう、ブログの記事書くときに、どこか一つくらいは鋭利な部分というか、自分のひりっとした部分とかエモーショナルな部分を出せたらいいなあと思って文章を書くんだけれど、今日はいつにもましてファジーだった。あんまり世界に対してのアンテナを張れていなかったのだとおもう。もっと面白いものを感じていかないとまた仕事に呑み込まれてしまうので気をつけなくては……。

生き方について

たびかさなる飲酒により体調が悪い。せっかくの有給の月曜日なのにだらだら眠ってしまった。

ポエミーなことを書こうとして書いて消して繰り返して、結局わたしにはそういうことを書くのは向いてないなって気づく。叙情的なふんいきというのは常にわたしのなかに漂っていて、波の水位のように上下してるんだけども、その水位が上がりきったときじゃないとポエミーなことは書けない。(そもそもポエミーなことってなんやねんという話ではあるが……)

依頼されている原稿の〆切を一週間すぎてしまった。まだ書き終わる気配が見えない。今日は早起きしてやるぞ! って気持ちだったのだけれど、結局二日酔いしている。二日酔いというか、寝る前に食べた炒飯が悪いのではないかという気もしている。お腹がいたい。

いったい自分はなにに執着して生き延びているんだろうな、とたまに思う。二日酔いだから虚無的な気持ちになっているだけかもしれないけど。希死念慮というのは2010年代以降のキイワードにちがいないのだろうけど、わたしの場合は死にたいというより、なんで生きてるのかなあ、という形で発露してくる。そのたびに、あれしたい、これしたい、こうありたい、みたいなことを一つずつ整理してみたりする。漫画の新作とか、すきなバンドの新譜とか、つぎにあなたと飲みにいく予定とか、そういう単純なものに実は執着して、支えられて、生きているのかもしれないな。

だいなしになっていくこの世と、それでも生きていくわたし、というのがずっとテーマとしてある、というツイートを先日した。失われていく青春の輝きというのがわかりやすく好きなのだけれど、それをわたしの気持ちに沿って一般化したときに出てくる言葉が、「だいなし」になるのだろう。スポイルされてしまったもの、たとえば大雨ではやく散ってしまった桜とか、こぼしちゃったお酒とか、そういうレベルでいいんだけど、世界の全体値みたいなものが少し損なわれるような事象に対して、それをしっかりとまなざして受け止める(できれば愛をもって)、というのが「それでも生きていく」っていう部分だと考えている。6年過ごした京都・北白川を離れるときには、いろいろなものが決壊して毎日泣きそうになりながら白川通を歩いていたし、事実ちょっと泣いた。たぶん終わってしまうモラトリアムというのが、わたしに直結しすぎてて、「それでも生きていく」って思った時に共振しすぎたんだろう。エモすぎるのも困り物だなあ。

さいきんは小説を書いているんだけど、小説を書くというのはほとんど思考と記憶の練習みたいな感じがする。もうちょっとテクニックを身に付けたい。

10月

かけがえないひとになりたいと思っていたのだと思う。自分のふるまいや言動に関して、今ここで自分が唯一無二であろうとする振る舞いをして、痛い奴認定されたり寒がられたり気持ち悪がられたり、そういうことを過ごして10代と20代を過ごしてきた。それが単一的に悪いことだったのかは、今となってはわからなくて、それはなぜならかけがえなくありたいと思って振る舞っていた私の行動は、すでにもうそんなのどうでもいいと思っている私の中に内面化されてしまっているからだ。

夏が終わって、職場に研修を終えた後輩が入ってきた。彼はふっくらとしたハスキーボイスの男の子で、何をするにも私に相談をしてくれる。

これ、どう進めたらいいっすか。

これ、誰にどういう風にメール打てばいいっすか。

電話かけるときってなんて言えばいいんすか。

正直、ここ数日彼の質問によってメンタルが削られていて、でも、わかりやすく嫌な態度を表に出すのも嫌なので、丁寧に教えている……つもりだ。でも、電話とかは慣れないと難しいだろうなあ。横で「お電話ありがとうございます、〇〇でございます」って電話口で言ってて、ちょっと微笑ましくなった(うちの部署ではそんな言い回しはまずしないので)

せめて、ゼロの状態から質問するんでなくてある程度揉んでから聞いてくれるとやりやすいのだけど、ゼロの状態から質問しないと不安なんだろな……でもその気持ちはよくわかる。私も質問魔なので。質問しながら自分に何がわかっていないかをあぶり出そうとしちゃう。この間別の部門のひとに質問しにいきまくってたら「なんか0か1かみたいな感じでしか来ないけどなんなんですか」的なツッコミをされて落ち込んだ。

これは自分が仕事をする上でも気をつけないとなと思っているんだけど、ある程度選択肢を2つか3つくらいまで絞り込んでから質問しなきゃな〜と思う。でもまあ、次は絶対にこうするでしょうみたいな事象も念のため確認しておきたい気持ちはわかる。確認と質問と相談を自分の中でちゃんと使い分けんとなあ。

お酒を飲みながら、自分がおこなってきた、そして自分になされてきた数々の不義理を思い出していた。人間関係は本質的に裏切りによってしか前に進まないのではないかとさえ思う。だいなしになってしまったことや、もう二度と(実際は二度とではないんだろうけれど、精神的には二度と)会えなくなってしまったひとたちのことを思い出しながら、悲しく、でもあたたかいような気持ちになる。今じぶんの周りにいるひとたちが、そこに永住することはなくて、絶えず流動して、失ったり失われたりしながら、時間は止まることをやめずにいる。その有様事態が生きるということだと思うし、各世界、各人にこのような有機的な時間の流れがあるのだと思うとちょっと泣ける。

新しい靴や帽子がほしい。

ひととお酒を飲んでいる時、そのひとの所作やものいいひとつひとつに、そのひと自身があらわれる瞬間があって、それがいっとう好きだとおもう。わたしは、わたしとは異なるものに惹かれるという性質をもってるからこそお酒が好きになっているのかもしれない。お酒がすきなひとには二種類いますよね、ひとと楽しくお酒を飲むのがすきなひとと、おいしいお酒をひとりでゆっくり飲むのがすきなひとと。あなたは前者だと思いますけど。って、東京の喫茶店で言われたことがあるんだけれど、前者の飲み方はもちろん後者の飲み方だってわたしは好きだ。お店の種類や雰囲気、飲むお酒、誰と飲むか、いろいろな要素が複雑に絡み合って、いまこの場所でお酒を飲む、という状態が成立している。そのいろんな状況を一生懸命愛おしむために、自分自身は柔軟にありたいとおもっているのだけど、ひとりで酒場で飲んでる時にウザ絡み説教してくるおじさんにだけは心を閉ざしてしまうので、まだまだ修行が足りないのかもしれない。

9月3週

水曜日

なんにもやりたくないとおもう。

今日は小山田壮平を聴きながら出勤した。「ゆうちゃん」は最初聴いた時そんなにかなと思ってたけど、聴いていると彼の優しさがしっかりと歌に乗っていていい曲だなと思えてきた。

andymori初期の小山田壮平はもうすっかりいなくなってしまって、彼は愛や優しさのことを優しく歌うようになった。ALというバンドを聴いてても、彼のソロを聴いててもそれは確かなことだと思う。

小山田壮平のソロでは「インタビュー」という曲がいっとう好きなのだけれど、「難しいこと並べないとね きみのインタビューは終わらない ただの愛に価値はない そして僕は路頭に迷う」というフレーズに、小山田壮平の愛や可愛さと、そこに共存する不安定さが詰まっているとおもう。

 

木曜日

小山田壮平のライブを見に行った。バンドセットで彼のソロのライブを見るのははじめてだったんだけれど、これがとてつもなく素晴らしかった。andymoriが好きだった(=今のALの体制にしっくり来ていない)人は絶対に見に行くべきだと思う。ベースが藤原寛なのもあいまって、サウンドもコーラスワークもandymoriのそれの感触が強くあったし、小山田ソロの曲もandymoriの頃の曲もやってくれてまさに至福の時間だったと言わざるをえない。小山田壮平が「ゆらゆら帝国のカバーをやります」と言ったときに会場の一部から悲鳴にも近い歓声があがってそりゃどっちも好きなひとにはたまらんだろうな…と思った。(わたしはそこまでゆら帝聴き込んでないのでブチ上がりはしなかったけど、知ってる曲だった)

本当に、小山田壮平は生きて歌ってくれているだけでいい存在だなと思う。彼がダイブして大怪我を負ったのは、彼の感情や心の動きの中で必然性があったことなのかはわからないけれど、その出来事を境目として、彼の歌い方や歌詞がやわらかくなってきたような気がする。単純に歳をとったというだけなのかもしれないけれど。

ソロでの曲も、弾き語りでは聴いたことがあった曲もバンドセットで聞くとさらに素晴らしくて、音源がますます恋しくなる。

余談だが会場には金属バットの二人が見にきていたらしい。金属バットが小山田壮平きくのはなんだか意外。二人ともいたってことはプライベートできたわけじゃなくて、招待されたのかなと思った。

 

金曜日

仕事が無理〜って感じだったので、定時後に梅田で飲む。串カツとハイボールの相性は良い。

犬みたいな人、と言われて、実家で飼っていた犬のことを思い出した。彼と過ごしていた時間が、わたしを犬みたいにしたのかもしれないな、と思った。犬は好きだし、犬みたいと言われるのも嫌いじゃない。それを言ってきたひともちょっと犬っぽい感じだったのが少し面白かった。

 

土曜日

音楽を聴いて、お酒を飲む。それだけで気持ちがいい。なんでこんなに酒ばっかりのんでるんだろう。ちょっと嫌になる。お酒は確実にドラッグでわたしの身体を蝕んでいるように思うのだけれど、僕は確実にお酒に救われている。音楽を聴いていても漫画を読んでいても救われない魂の淀みみたいなものがわたしの中に確実にあって、それを一つの方向へ流れを整えてくれるのが飲酒という行為なのかもしれない。何をいっているのか?わたしにもよくわかりません。

 

日曜日

ひたすら寝ていた。夜はいきつけの店の周年祭で、何を飲んでも500円だったのでウイスキーを色々飲んだ。めちゃくちゃ声のでかい男女がテーブル席で騒いでいてすこしいやだなと思った。わたしもわりかし声は大きい方なんだけど、声を大きくするべきではなさそうな場所や場面で大きい声が聞こえるとそのたびにビクッとしてしまう。単純に小心者というだけなのかもしれないけれど…。ウイスキーは美味しかった。キャスターを吸いながら歩いて家まで帰った。キャスターは、昔たばこをあんまり吸ってなかったときに、好きな先輩たちとフェスに行ってぼんやりと話しているときに、「で、きみはたばこを吸わないのかい?あげるよ」「やめなよー!わたしは彼にはたばこを吸って欲しくないんだよー!」みたいなやり取りがあって、二人とも吸っているのがキャスターだった。だから、キャスターを吸うとその記憶が鮮明に蘇ってきて、少し泣きそうになる。

 

月曜日

谷町六丁目にある大衆食堂「スタンドそのだ」はほんとうにご飯がおいしくて、行列のできる人気店なのもうなずける。昔からありましたみたいな店構えをしているけれど、実際はけっこう新しく、ネオ大衆居酒屋的な立ち位置をやっているのもよくわかる。ニューウェーブというのはこういう店から始まるのだろう。

最近、Tohjiというラッパーにハマっていて、彼の危うくも突き抜けた魅力はなんなんだろうと頭の中をぐるぐるしている。トラップミュージックは正直そんなに好きじゃなかったんだけれど、Tohjiの曲は魂を直で掴みにくるような魅力がある。まだあんまり曲をいろいろ聴けてはいないけど……。

フォロワーのツイートで、Aマッソが人種差別的な発言を行ったことを又聞きで知る。ネタを見ないとなんとも言えないけど、「尖ったネタ」をやる芸人に一番重要なのはどこで線引きされてて大衆が白けるのか、というのを見極める能力ではないかと思う。その線は大衆のリテラシーの発達によって動いていく(楽観的な見方をすると、どんどん「白けやすい」方へ動くふうに発達していってほしいけど……)。

特に、人種差別・性差別の要素が含まれる「笑い」はこれからどんどん難しくなるだろうけど、それは「お笑いがやりづらくなる」のではなく「笑いのレベルが洗練される」ことなのだと理解する必要があるんだろう。どこからアウトでどこまでセーフかの線は明確にあるわけではなく、個人の力量にもよるのだろう。そういうネタが笑えるのだとしたら、「ギリギリ」だから笑えるというのは間違いないと思う、だから余計に難しいのだけど。(たとえば、金属バットの「早口言葉」のネタを僕は面白いと思うけど、そうは思えず真顔になる人もいるだろう。)

美しい時間を書き留めておかないと覚えていられないし、考えたことも全部忘れてしまう。書いている間しか頭が働いていないような気すらする。文章を打っている間は心が落ち着く。こんなのほとんど酒に逃げるのとおんなじじゃないか、と思う。でも書かなくちゃいけないと思う。焦っているのか? そうかもしれない。まだなんにも成し遂げていない、という感覚を19歳ぐらいからずっと抱いていて、それがなくならないまま老いていって、感覚が鈍っていって、仕事をして家で酒を飲んで好きな音楽聴いて寝て、みたいな生活をきっとこのままでは繰り返すだろう。

さて、義務を果たさなければ。やるしかねえ!