風景と速度

@takusan_neyoの日記

日記

3月27日(金)

週明けから、会社の自席を引っ越すことになった。異動とかではなくて、COVID-19への感染者が出た場合、そのフロアが出勤停止になるのだけれど、そのとき部署が機能停止するのを防ぐために各チームの半分の人員を別のフロアにうつすことになったのだ。移動する先のフロアからもぼくがいまいるフロアにひとがうつってくるから、自席周辺をがっつり片付けなくてはいけなくて少し面倒だった。感染者を出さないようにするのが理想的だけど、感染者が出ると想定して動くというのは合理的だとおもう。めんどうではあるがやむをえない。もし自分が感染したら…(もうしてるかもしれないけど)という想定も常にしておかなくてはならないよな、とは思うんだけど、なかなかできていないのが実情。まじめにならなくちゃな。

馴染みの店が潰れるのはいやだから、1時間ほど残業して、ひとりでたずねてみた。週末だからかわからないけれど思ったより賑わっていて安心した。もっと事が深刻になってきたら、お店自体が営業をやめてしまうのだろうな。2軒目で訪れた立ち飲み屋は、いつも人でぎゅうぎゅうなのにぼくが入ったときにはお客さんがいなかった。ぜーんぜんあかんわ、とタバコをふかしながら大将がぼやいていた。だいじょうぶかなあ。安くて良い店だからつぶれてほしくないな。

3軒目は居心地が良くて、ハイボールを二杯だけ飲んで2時までだらだらしていた。バーなんだけどバーっぽくなくて、シメに釜玉うどんを出してくれる。美味しかった。家から20分ほど歩いたところにある店で、この店から歩いて帰るときはいつもなんだか心細くなって誰かに電話したくなる。この間東京へ引っ越してしまった後輩がまだ起きていたのですこし電話で話した。引越し先は近所に飲めそうなお店がない…とぼやいていたので、今度東京に行くときに連れてってくれるお店開拓しといてよ〜、と頼んでおいた。今おもうとぼやきに対する応答になってないな。

 

3月28日(土)

午前中に散髪。美容院に折り畳み傘をおいてきてしまった。取りに行くのめんどうくさくて行ってない。壊れかけてたし買い換えようかなあ。午後、散歩していたら育休中の職場の先輩(というかほぼ飲み友達)にたまたま出会い、スーパーでお酒を買って公園で桜を見ながら乾杯した。先輩はノンアルコールビールだったけど。いつ落ち着くかわからんけど、落ち着いたらまた遊ぼう、と言われてはい、と答えた。「落ち着く」の対象が育児なのかCOVID-19なのかわからなかったけれど、そのことはぼくがその先輩と遊びたいとおもうことに関して特に重要ではなかった。いつでも遊びに誘ってほしい。先輩と別れて、家に帰る。花見の予定が流れたので、家でテレビで花見の動画を流しながらお酒を飲んだ。この日常と非日常の状態を楽しみながらやれることをやるしかないのだろう。

 

4月5日(日)

二日酔いで昼まで寝ていた。外で飲んでも家で飲んでも二日酔いになるまで飲んでしまうんじゃあいっしょだよなあ。重い身体をひきずって、近所のコンビニに今日1日分のご飯を買いに行く。ファミチキが100円なのはうれしい。いつまで経っても、明日から自宅待機、みたいな連絡が来ないから、月曜からまた出勤しなくちゃならないんだろう。憂鬱だ。けれど、社内で座席を引越ししたおかげで、もともといた場所より清潔で明るい環境になったから、それはうれしい。上司の目からも離れてわりと快適に仕事ができている。特に外に出る予定もないから、Netflixで適当なアニメを流しながらぼんやりする。Netflixは日本語の字幕が非常に優秀で、日本語のアニメやドラマを視聴するときも常に日本語字幕をオンにしている。こないだ初回が放送された「波よ聞いてくれ」なんかは、おそらく字幕なしで見たら何言ってるか全然わからないんじゃないかと思う。言葉選びの妙や、言葉数で攻める場合、それが伝わらないと面白さが伝わらない。「水曜どうでしょう」も字幕ありで見たら面白かった。あと、たまに日本語で見ながら英語字幕をつけるという遊びをしたりするとより面白かったりする。

22時をすぎて、小山田壮平ツイキャス配信をはじめた。ぼくの青年期を支えてくれた彼の歌声は、聞いていると条件反射的に涙が出そうになる。力強いのに優しくて、躍動的なのに今にも消えそうな、そういう矛盾をはらんでいて、それが心をゆさぶってくる。

火の消えていきかたに正しいも正しくないもないのと同様に、ここに在る、ということの方法、つまりはあなたやわたしの在り方に正しさは存在しない。しかし、わたしはわたしにとって正しくありたいと思うことをやめられないから、わたしにとっての正しさとはなにか?を問いながら、生活の中でひとつひとつの意思決定をしていくしかないのだと思う。

 

4月8日(水)

緊急事態宣言が出ても、会社は何もしてくれない。国も会社も何もしてくれないなら、自分で休むしかないだろうと思って、明日と明後日を有給休暇で休むことを上司に告げて、承認を得た。休んでる間に、組織としての対応が好転するといいんだけれど。

先週いっしょに同じ部屋に社内引っ越しをした先輩は、「まあ、緊急事態宣言出てもなにもかわらないだろうから目の前の仕事するだけじゃないかな。大変なのは東京だけの話だろうし」と言っていて、率直に、この人は想像力がないんだなと思った。

食堂で食べているときに一緒になった同期は、「今仕事が忙しすぎてそれどころじゃない。四方八方からあれどうなってるこれどうなってるって詰められまくってる」と言っていた。こういう考え方にならないように、仕事はだいじだけど自分の身をだいじにしたいなとおもった。

小山田壮平ツイキャスの録音を聴きながら、お酒を飲む。非常事態のいま、ささやかな幸せを自分の力でつくっていく。明日は休みをとった。できることをやっていく。

自分にはなんにもなくても、疲れ果てていても、友達と遊んだり歌を歌ったり、お酒を飲んだりすることが大事な時間なんだ。大槻ケンヂも、「何もなくなりはしないのさ 形が変わっていくだけさ」と歌っている。ぼくにとってのだいじな時間も、形を変えながら、でも、失われることがないはずなんだと、信じている。