ぼんやりと詩論/愛の話/近況
作品のようなものを書きながら、ひとの帰りを待つ。
作品のようなもの、が、作品、になってしまう瞬間が、弾けるようでせつなくてたまらない。これは自分の中での話。
自分の中でもあいまいで、こわれてしまいそうな、不安定なものたちが、あるバランスを得て、揺るぎなさに置き換わる。
そのバランスは外部から与えられるのでなく、どちらかというと、時が満ちることでわたしの中に到来する。
たとえば、この服にあってんのかにあってないのかわからないなあ~と思っていたけれど、ある日着てみたら、自分の外装だけでなくて、心の底までフィットするような感覚を得ることがわたしにはあって、そういう「揺るぎなさ」は、紛れもなく時間が運んでくるものだろう。
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職場の友だちが、「彼女の愛が重いんだ」と零した。連休の終わりに、見送りの駅で滔々と泣いたらしい。わたしはそんな友だちの彼女をなんだか愛らしくおもうけれど、疎ましくおもう友だちの気持ちもすこしわかるような気がする。
「愛が重い」とか「愛が軽い」というのは不思議だ。愛は質量を持つのか。どちらかというと「愛が眩しい」「愛が暗い」とかのほうがしっくりくる。愛は絶対的なものではないか。
Aさんを愛することと、歌や文学を愛することは一般的に両立しうるけれど、Aさんを愛することと、Bさんを愛することの両立は世間的には承服を得られない。だからこそ人への愛情というのは質量を背負わされがちなのかもしれない。
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体重が増えてきたので、とても痩せたい。